*プレゼントはないけれど
christmasより改題
じっとしていたから、呼吸は普段と同じはやさ。
それも深夜で空気がとびきり冷たく感じるから、熱い湯の上澄みを啜るようにそろそろと少しずつ吸い込んでは吐き出している。
そうして吐き出しきれず肺の中いっぱいに溜まってきた空気を、
ほっ、ほっ、と丸める具合に吐けば、吐息は白くてまるい。
ほぉっ。
呼吸とは別の息をひとつ。またひとつ。
最初から遅いぞって聞いていたから、11時になろうかという頃、走ってくる、なんていつもの言い訳で泉は家を出た。
二階の窓はまだ暗い。
玄関に背中を預けて腰を下ろすと、コンクリから冷気が這い上がって体を冷やした。
長く座っていたら凍死してしまうかもしれない。
気温は深夜、0度を切るらしいから。
鍵は持っている。
けれど、中には入らない。
だって今日みたいな日に部屋の中で帰りを待っているなんて自分の姿、想像するとなんだかきまりが悪い。
* * * * *
イヴなんてそりゃあ、誰も遅くまで働きたがらない。
だから稼ぎ時だし、だから、早くなんて、帰してもらえない。
バイト代に加えて、ごめんね。ありがとうね。助かった。
そんな言葉の褒章品がキャンディーみたいにいくつかもらえる。
今日は年に数回のそんな日。
帰りが遅いことは最初から言っていた。
だから、今日は来ないつもりかもしれない。
角を曲がると二階の窓は真っ暗で、誰もいないみたい。
部屋の明かりを点けそうなのは浜田と、あと一人くらいなのに。誰もなんて言葉で、浜田は家が留守宅なのだと思った。
だって、アパートの敷地に入ってもう一度見上げたけれど、やっぱり誰も――。
やっぱり泉は来ていないみたい。
もう12時に近いくらいの時間だから無理もない。
遅くなるって言ってたし。無理もない。
寝静まっている部屋もあるから足音をころして、浜田は階段を上っていった。
気をつけて、気をつけてそっと、そっと、錆びの浮いたチェッカープレートに足を乗せていく。
なのにアパートの階段は建て付けが悪くて、気遣いもなにもない。
踏みあがる足の振動が方々に伝わって、余計な物音が立つから参ってしまう。
* * * * *
「あれ? ――そんなトコで何してんのオマエ?」
階段を上りきって初めて、浜田は泉に気が付いた。
誰もいないと思っていたし、泉だったら中に居るだろうと思っていたし。
だいいち、階下から泉の姿はちっとも見えなかったし。
ちょうど泉は、さあ帰ろうか、とドアの前から腰を上げたところだったみたいで、
「よ、メリークリスマス。おやすみ」
学校の廊下ですれ違うみたいな挨拶だけ寄越して通り過ぎると、気が済んだのか、浜田が上ったばかりの階段を一段一段下りてしまおうとする。
どうして帰っちまうの?
会いに、きてくれたんじゃねえの?
「なんだあ。帰っちまうの? 泉」
浜田は布団みたいに二階の桟に体を被せると、アパートの影から現れた黒い頭のてっぺんに訊ねてみた。
泉は二階を見上げて、少し、笑ったみたいだった。
浜田の方を向いたら外灯に背を向けてしまう。
だから顔に黒く影が差して、『みたい』くらいにしか分からない。
「おお、クリスマス言ったし、帰る。プレゼントもないからさ、そんかわり、今度お年玉付きで来てやるよ」
そう、控えめな浜田の声を真似るように、少し、抑えた声で言った。
「年末年始、両親が親戚んとこにいくからさ、現金込でこっちに来る」
「ふぅん――兄貴は?」
浜田は一層声を絞る。
「彼女ん家」
「いつから?」
「29日から」
「お年玉には早いよ」
「それまでは遊びに来るんだよ。じゃあな」
言うと泉はくるりと背を向けて、片手を軽く振ってみせた。
手をひらひらとさせながら足を上げると、影が凍えそうな地面を滑っていく。
まるで説明がすっかり済んでしまったから、今夜の用はもう終わりって具合に。
「――泉! 帰んないでよ。お年玉いらないから今日居て」
そんなに待てない。
呼んだ声はさっきより少し大きくて、浜田がはっと口を噤んだ。誰か、起こしてしまったかもしれない。
入口の外灯の向こう側では、泉がもう一度二階を見上げていた。
微笑んでしまう口元を、きまり悪そうに吐く息の白さで隠しながら。
夏/投/列/島/薬/局/
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