*きっちん2
やっぱり浜田宅でのお話。
浜田宅の台所は玄関から右側にある。
ドアの横に格子を張って、わりと大きく摺りガラスを入れた窓があり、ここはまあ、冬を覗いて大概少しから全開の間で開け放されている。
網戸が入っているから、開けていても虫の襲来に怯える心配は無い。
窓から壁に切り替わる位置からは調理台が付いていて、向かって右から備え付けではない三口のガスコンロ、使い勝手の悪く無い程度に広い流し、家族サイズの大きな冷蔵庫。
冷蔵庫のドアにはシールを剥がした跡が所々黒ずんでいる。そしてその横は、少しの隙間を置いて台所と居室を分ける引き戸が入っている。
食器をはじめ塩や醤油を乗せたキャスター台。これは可動式なので定位置はないけれど、コンロの近くで斜めに転がっていることが多かった。
後、何のために持ってきてしまったのか、古い食卓のテーブルのみ。
椅子は無い。
狭い水周り兼廊下の狭さを引き立たせる一品だ。当然足を外してこの部屋へ入れられたものだけれど、初めて見ると、正直どうやって玄関から運んだのかと思うような威圧感がある。
テーブルだけがあれば然程でもないだろう上下には色々と詰め込んでいるから、その一角は、宛ら小さな魔窟みたいになっていた。
「沸いたら塩入れて、茹でます」
まるで理科の教師が実験の解説をするような口調で言いながら、浜田は赤と緑の派手なパッケージを開けると、中のパスタを掴んで鍋の中に漬けた。
横の方では疑わしそうな目をした泉が麺の成り行きを黙ってみている。
パスタを茹でるには明らかに寸法の足りない鍋の底に麺の束を引っ付け、加熱で少々柔らかく曲がるにあわせ、浜田はそれを湯の中に入れていく。
小さな気泡をいっぱい立たせながら、パスタは硬いコードのようにぐにゃりと丸くねじ込まれていった。
「で、えー、9分?」
袋を眺め、几帳面に携帯のアラームをセット。
「こういうのって――」
「んー?」
「茹でてるときには具とか準備できてないとだめじゃねえの?」
濛々と湯気の上がる鍋越しに、泉は流しを睨んだ。
まな板はきれいに洗いかごへ納まったままで、流し付近には口の空いたパスタの袋が置いてあるだけだ。混ぜる具材やソースの類はない。
「まさかそのまま塩振って食ってんじゃねえよな」
「まあまあ泉君、一人暮らしの生活の知恵を見てなさい」
にやにやと笑いながら箸で鍋の中をかき回す浜田。疑わしそうな目を向けた泉。
実は只今検証中なのだ。
少し前に、料理が作られているとは思えないきれいな鍋を泉から見咎められ食生活改善を言い渡された浜田は、本日、鍋の活用ぶりを実証させられている。
使用鍋はレトルト用と名づけられた大き目の鍋。
沸々とした湯の中にはみ出しそうなパスタの一部が見え隠れし、せっせと箸を回していなければ、麺から出た小麦粉の粘りが泡になって、今にも吹き零れてしまいそうだった。
アラームが鳴ると泉は台所を見回した。どうも道具が足りないような気がしてならない。パスタは昔調理実習で作らされたことがあるけれど、茹で上がった麺を湯切りするはずのザルがどこにも見当たらないと思った。
眉間にはしわが寄っている。
「で、ここで登場するのがラーメン用鍋ってわけよ」
言うが早いか、空いた火口に空のまま置かれていた鍋の上に、濛々と湯気を立てるパスタ入りのそれを斜めに掲げると、浜田は菜箸で中の麺を落とし始めた。
パスタは少量の湯を伴ってぺたぺた音をさせ、方々へ水滴を飛ばしながらラーメン用に移されていく。
茹で汁だけになった鍋の中身を流しに空けた後、底に油が敷かれる。
「で、ここへニンニクと一味」
浜田はまとめて手のひらにすっぽり入るくらいの瓶二本を指の間に挟んで振って見せると、それぞれのキャップを外して油の上に振った。
どちらもスーパーの香辛料売り場にあるあれだ。胡椒と色違いの瓶に入って並んでいる。乾燥させて砕かれたガーリックと一味唐辛子が油の上で炒められ、パラパラと弾けるような音を立てた。
「さっきの麺」
命名ラーメン用鍋からパスタがその中に移される。
「で、塩して混ぜて、ぺペロンチーノできあがりーっと」
「へっ?」
浜田は得意満面で鍋を泉の前に突き出した。
鍋の中には、見た目には味が付いているのかさえも定かではないような、生のままの色をしたパスタが温かな湯気を立てている。言われたとおりの匂いがして、一応は美味そうな気がしなくもないけれど、見た目があまりに貧相だ。
しかし、それ以前に何か違わないだろうか?
「え、ちょっと……え? コレ?」
「まあまあ、だまされたと思って食ってみな」
皿二枚にパスタを取り分け、浜田は片方をずいと差し出した。皿と、皿を握る親指の間にはフォークが挟み込まれていて、無言ですぐにでも食えと言っている。
あまり気乗りしない顔でそれを受け取ってろくに巻きつけもしないまま、泉は浜田命名ぺペロンチーノをフォークに絡め口元に運んだ。
浜田の顔をしばらく眺めた後でパスタを口に咥えると、泉は上半身だけ捻るみたいにして後ろを向き、背中を丸めてしまう。ずずっと短く、巻き取れずに下がったままの麺を遠慮がちに啜る音がした。
「どうよ」
一本しかないフォークを泉に渡して、菜箸のままパスタを摘んでいた浜田が得意そうな声を出すと、明らかに自分の想定した以上の麺を口に入れてしまった泉が頬を膨らませ、複雑な顔で向き直った。
きちんと飲み込むまでは喋れそうになく、しばらく百面相をしているみたいに口の中で咀嚼を繰り返していた泉の喉がごくんと鳴ると、ようやく頬が元の形へと収まりをみせる。
「味はさー、味は、そうなんだけどさ、なんか微妙」
「なんでよ?」
「これ、毎日食うって想像したらなんか――胃が悪くなる」
毎日食うわけねーだろ。浜田は笑ったけれど、泉は信用のおけない顔のまま、皿の上を黙々と減らしていった。
浜田宅の台所は立て付けが古いため、空にすると意外に広い。
今どきのワンルームや1Kであれば、単に排水溝やガスの元栓を管理する用途にしかならないシンク下のスペースも、分譲住宅に入れてあるシステムキッチンのそれとまではいかずとも、十分収納場所としての用が足りるだけの大きさを備えていた。
閉じられた扉の中、暗い影になったスペースには大小のザル、フライパン、これもまたシールを剥がした後が所々黒ずんだホットプレート。剥がしきれずに半分残ったまま、チョコのオマケシールが取手には付いている。
そして手前にサラダ油、酢、小麦粉、鰹節、乾燥ワカメ。扉裏には包丁が二本。
ジャガイモ、玉葱、人参、生姜。生姜は牛乳パックを切って土を入れたところに埋められていた。
ここは泉の未発掘ゾーン。
いかにも何かありそうなベッド下のスペースからは先日何か見つけたらしいけれど、ここはノーチェックのままだ。
浜田にとって別段泉に隠しているわけでもなかったベッドの下については、泉が居室の秘密の場所だと判断して触れないことが面白くて、何か素振りを見せれば指摘してやろうと機会を狙っている。
知らぬ顔の訳は身の危険を感じてのことだろうから暴いてやった時の反応が楽しみだし、その後には、泉の察したままの並々ならぬ期待もやはり寄せていた。
一方流し下の場所は別に隠そうとしているわけではないけれど、一々披露することでもないから特に教えていない。最近は泉の目に触れない方が良いんじゃないかと思うから、なおさら泉が部屋にいるとき、ここには触れないように、存在の薄い部屋の一部として扱っている場所だ。
まっすぐ向いていると泉は中々自分から近づいてくれないから、少しずれている方が自分にとっては何かと良い事が多いのだろうと浜田は最近感じている。
構われてすぎてしまえば素直な反応ができなくて、それでも嫌な顔をしながら一割の笑顔をくれる泉が好きだけれど、それだけじゃ全然足りないから、いくつかに一つ、チャンスがあればこうして構う側から構われる側へと方向を逆転させる。
今回は泉の思い込みがくれた幸運。
こうして仕方のないヤツだと思っている時は、泉が自分を放っておかないこと、浜田は知っているから。
だからもう少し、扉の中は秘密にしておこうと思っている。
夏/投/列/島/薬/局/
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