*逃水
高2-夏(捏造甲子園)
ほぼハマダテキスト
「アフリカンシンフォニーだ」
茹るような暑さの中、アルプススタンド入場待ちのため、応援に来た自校勢をアルプス・外野席間の通路へ誘導させていた。
プロ野球の試合でリリーフカーが出入りする、あの通路だ。
物珍しくて、生徒や父兄を案内しながらちらちらと見渡していた目を、松田の呟きに顔ごと空へ上げてみると、ドラムを連打する振動と歓声が、四角い、真っ青な空からずしりと圧し掛かってきた。
鉢巻を巻いた辺りがぎゅっと強張って、気迫に屈した瞼が塞がろうとする。
空を四角く切り取っているのは、客席の傾斜に合わせて通路の両側に張られた二枚の壁だ。深い緑色の塗装一色を施されている。オレたちのいる通路は狭くて、両側を高々と塞ぐその双璧は黒く聳(そび)えるようだった。
午後にはみんな日陰に入ってしまうこの待機場所から見上げるからか、それとも、刻々と自校の試合開始が迫るからなのか、一対の璧に切り取られた空はやけに高く、青く、重く、暗い。
「なあ、浜田、今何回?」
「うーん? こんなとこからスコアボードなんて見えっかなあ」
鉄扉の前まで行き伸びあがると、目隠板の上から目の中に、さっと黄緑の光が射てきた。手入れの行き届いた芝の一つ一つが太陽に焼かれ、熔解寸前の色に光っている。
重い空の青に敷かれた芝の緑は、熱ですぐにも揮発してしまいそうで、上下の比重がまるであべこべに見えた。目が回ってしまいそうな光の性質差が堪えきれず、瞼を一度、強く下す。
「6回ぐらいかなあ、……前の試合の7、8回ぐらいでアルプスに誘導されるって聞いたし」
「じゃあ、もうすぐ中に入るんだ? なんか緊張してきたよオレ」
すぐ隣から、今度はリズムの違うバスドラの音が鳴りだした。攻守が入れ替わったのだ。
演奏に合わせた手拍子の層が厚くて、この壁の向こうに一体どれぐらいの応援が詰めかけているのかと想像すると、心細さと対抗心が混ざり合った。それらは球場を覆う湿気た熱気に揺られてゆっくりと対流を起こし、松田と同じ、緊張というものに姿を変えて蓄積されていく。
両手袋の指を歯で銜えて脱ぎ、一度、強く頬を張った。
「オレらが緊張してどーすんだよ。選手に伝染しちゃうぜ」
笑いながら松田を窘めてもう一度、緊張するなと自分のために繰り返した。
こめかみに湧いた汗が頬を滑る。球になった水滴が落下し、足元にぽたりと染みを作る過程を、これほどゆっくり落ちるのかと驚いて見送っていて、ふと、ポケットの中ですっかり体の一部のように馴染んでいる携帯の事を思い出した。
球場に入る
応援を託すたくさんのメールに混じって寄越された一件の件名。本文はなかった。
一言だけのメールは、誰かに見咎められないよう、入場直前に慌ただしく送られたのかもしれなかったけれど、それはあまりにも普段から知る泉らしくて、「がんばれ」という声援より先に、思わず笑いが零れた。
たった5文字のメールに呆れながら抱いた思いは、心配とも、心強さとも愛しさとも、そして、嫉妬とも付かなくて、けれどどれも全て、当てはまるような気がした。
嫉妬をしたなんて正直に話せば、メールの送り主は呆れるだろうか。
志賀に応援団の話をした時に付き添っていた泉の、どこか憮然とした顔が過った。
爪先で扉に触れる。
鉄扉の向こうに広がる、眩い緑。水を含んだ土。
真っ白く引きなおされたライン。ベース、ピッチャープレート。
閂を引き、この扉を開けさえすれば、子供の時に夢見た場所がすぐそこにある。
絶対に手の届くことのない、この、たった数センチの距離の先に。
瞼の裏、捨てきれなかった想いがじわりと滲んですぐ、新しく浮いた汗の気配とスタンドの咆哮に掻き消えた。憧憬も感傷も、全てが夏に呑まれていく。
あの場所へ、せめてこの声が響けばいい。
夏/投/列/島/薬/局/
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