*opponent
リトルリーグ・泉と浜田が別々のチームにいるお話。
「くっそーっ! やられたっ!」
試合終了と同時に、クラスメイトの西畑が得意満面でこっちを見た。
『こんどのしあい、泉のいるチームとだよなー。ぜったいオレんトコが勝つからカケねえ?』
年中風邪ひきみたいな西畑の声が、頭の中でエンドレスリピートしてる。
くだけちまえと握りしめたバットの頑さも、守備位置で西畑が見せた勝ち誇った顔も、週明けの給食で奪われる黄色いプリンも全部、目の前の投手に集約されて腹が立った。
知った顔――。
同小のヤツだから余計と悔しい。悔しくて、たまらない。
負け試合はきらいだ。
それも、完封でも腹が立つというのに、今日は誰も打てなかったというのだから、どうにも気持ちが片付けきれない。
ミーティングを済ませた帰り道、孝介は仏頂面を下げて歩いていた。
肚の底ではずっと、ドライアイスがぐつぐつと煮えるみたいな低温の悔しさが居残っている。
こんな顔で帰宅をすれば、母親は不機嫌を煽るように孝介を笑うだろう。
けれど、こればっかりは、今すぐ取り繕うこともできない。
『アンタまたブッチョーヅラしてぇ! 負けて帰ってきたんだー!』
って、言う。ゼッタイ言うぞ。
孝介は頭の中で母親の襲撃を想像した。
おまけに水曜には、楽しみにしていたプリンも西畑に食われてしまうかと思うと、ますます面白くなかった。
小学校の角を曲がる。
相手チームのユニフォームを着たヤツが二人、立ち話をしている姿が目に映った。
無理に飲み込もうとしていた悔しさが喉から迫り上り、罵倒の言葉として口を突きそうになる。
ったく、何ダラダラやってんだ。長話なんてして、なんかオンナみてえだ!
口にすることは辛うじて堪え、苛々と内心毒づきながら通りに足を踏み入れた。
けれど急に、この道を使うことになんだか気まずさを感じてしまう。
孝介は気付かぬふりを装い、道の反対側から彼等の前を足早に横切った。
別れ際に交わされる和やかな会話が一旦耳に近付き、また離れていく。
その少し前、二人からの視線を感じると同時に、彼等の声量は少し絞られた。
今しがた負かした対戦相手のユニフォームを着た孝介に、おそらく遠慮したのだろう。
余計なことに気を利かせてをしてくれるものだ。
卑屈に地面を睨む気にはなれなくて、孝介は電線越しにきつく空を見据えた。
相手の気遣いに悔しくなくなりながらその場を通り過ぎると、背後で別れの挨拶が交わされて、自転車を漕ぐ音がひとつ近づいてくる。
立ち話をしていたどちらかが、自分を追い抜いていこうとしているのだろう。
相手が自転車で、自分が徒歩である事に孝介はほっとした。
だってお互い歩きなら、道が分かれるまでしばらくは、一定の距離内に相手の気配を感じながら帰らなくてはいけないのだ。
気詰まりといったらならない。
早く追い越してってくれ。
孝介は追い上げてくる自転車の音が早々と自分の横を通り過ぎるようにと、歩く速度をゆるめた。
自転車の音はもう、すぐ後ろまできている。
下らないことに気を回している自分のことが、ひどく腹立たしい。
「イズミー」
後ろから、誰かの呼ぶ声がする。
孝介は向かっ腹が立つあまり空耳まで聞えてきたみたいだと思いながら、もう4歩、足を進めた。
「イーズミー!」
また聞える。けれどこの声。知り合いじゃねえし。
「おつかれっ! って、ヒトチガイ?」
トンと唐突に、後頭部を軽く小突かれた。
「はっい!?」
揺れた頭をぐるりと回すと、グラウンド――、
もっと絞って言えば、マウンドで見たヤツが自転車に跨って、顔面に拳でも食らわしてやろうかって満面の笑みを浮かべて立っている。
「イズミってオマエじゃないの?」
何の用かと胡散臭そうに睨むと、ソイツは『ドウナンダ?』と孝介の顔を覗き込んできた。
1年上のヤツだ。全校朝礼のとき、隣の列にいるのを何度も見ている。ゼッタイ1組のヤツだ。
いったい、何の用だってんだ――。
口の真ん中を鼻に付くくらい曲げて頷くと、ソイツはやっぱりそうかと朗らかに言って、孝介と並んで歩き始めた。
「西畑とおんなじクラスなんだって?」
「そーだけど?」
軽い歯車の音を立てて回る車輪を眺めながら、孝介はそっと相手の様子を伺った。
「んでさ、西畑とカケしたんだって?」
その話かよ!
鳴らしかけた舌を止め、ぐっと唇を一度引き結ぶ。 まんまと挑発に乗せられた自己嫌悪を引っ付けて、最終打席で三振させられたムカつきが、もう一度こみ上げてくる。
他のヤツならこんなに腹も立たないけれど、西畑は元々ずるいところがある。
そんなヤツが勝ちを計算しつくして持ちかけてきた事に気付きながら、相手の態度にムキになって、つい乗ってしまった。
踊らされて、最後に焦って、てんで見当違いのところを振り抜いてしまったのも、隣を歩くコイツにはしっかり見られていたはずだ。
「べつに。アイツ、一人でもりあがってるだけだし」
「でも、取られちゃうんだろ? プリン」
「しょーがないよ。負けちゃったんだもん。オレら」
そっけなく返しても、落胆がどうにも隠し切れない。
負けたと聞いた隣のヤツときたら自転車を押しながら、試合に勝った喜びが一層増したみたいに顔をほころばせた。
最後に笑えなかった自分が悔しい。悔しい。けれど、悔しいだけで、今のコイツには不思議と、試合終了のマウンドで見返した時のようには腹が立たい。
多分コイツのは、西畑みたいに『ザマアミロ』って顔じゃないからだ。
精々と浮かべられた笑みを見上げながら、孝介はそう思った。
腹は立たない。
でもその代わりに、負けをこれ以上ないくらい強く意識させられて、悔しさに呑まれてしまいそうになる。
自分達を投げ負かした当人を前に完敗を認められるほど、まだ潔くなれない。
孝介は視線を上へと逃した。
少し見上げる位置にある、隣のヤツの頭越しには、緩やかな傾斜を作る家並みの上に、薄紅色の夕空が見える。
空の高いところでは、霜を張ったような薄い、縮れ模様の雲が広がっていた。
その下の家も電柱も、黒いはずのアルファルトも、隣のコイツをも一色に染める夕日の色は、孝介にまもなく今日が終わること告げている。
藍を溶き混ぜた鈍い赤色が、負けた腹立たしさや悔しさを、じわじわと寂しさへ染め替えていくみたいだ。
「なあ、イズミって給食食うの早ええ?」
うら寂しい感傷に耽っていると、唐突に質問が飛んできた。
コイツは一体。いきなり何の話をしだすのか。
「……それなりに」
孝介が上ずって答えると、
「じゃあ水曜さ。食ったらオレんクラス来いよ」
と、隣のヤツは言う。
「え?」
「かわりにオレのプリンやっから。見つからなかったら入口から呼んでよ」
「なんで? って、名前だって知らねーし」
名前? 名前はハマダ。
コイツはそう名乗った。
ハマダのダって発音をした時に、何がそんなに嬉しいのか、ぎゅっと笑顔を深くしてハマダは名乗った。
「――いらない」
渋い顔で孝介が呟くと、ハマダは『ナンデ?』と首をかしげる。
「いらないよ。もらう理由。オレにはないもん」
返事をしながら、孝介は家に向かって左折する角までの距離を測った。
今まで小学校の外でハマダを見掛けることはあまりなかったから、多分違う方に行くんだろう。
もう少しだ。あの曲がり角に、もう少しでたどり着く。
「これからも取られるよ?」
「取られないよ」
もう少し。やっと、離れられる。
たった数分の会話でどっと疲れてしまった。
早く、一人になりたい。
今は立ち直るために、気の済むまでとことん落ち込みたいのに、ハマダがいると調子が狂ってしまう。
「なんでこれからは取られないの?」
「今回は西畑からゴーインにけし掛けられたんだって」
意地を含んだような自分の声が気に入らずにむくれると、ふうん、ハマダは首をかしげて、
「じゃあこれからも西畑にゴーインにプリンとか、イチゴとか取られるじゃん」
そう、すこし面白がるような顔をした。
くそっ! もうすぐだ。
「アイツにはもう取られねーようにすっから。だから、いい」
「もうカケないから?」
もうすぐ左の道に曲がればうるさいのもいなくなる。
「負けなきゃいいんだよ」
孝介が足を速めた時だった。
「え、だってウチのチームと試合することもあるだろ? オレ打たせないよ」
ハマダは朗らかに言い切った。
孝介の頭にかっと血が上る。
「バカ! 打たせてもらわなくていンだよ! オレが勝手に打つんだから!」
ハマダの一言を引き金に声を荒げると、孝介はそのまま一目散に角を目指して駆け出した。
後ろから、自転車を漕ぐ音が追いかけてくる。
それを振り切るように辿り着いた角を曲がり、ようやく安全地帯と思われる左の道へと逃げ込んだ。
もうこれで、煩わしいのはいなくなるはずだ。
「なあっ! イズミー! 水曜なー! 5年1組なー!」
曲がり角からハマダが叫ぶ。
すると背番号を波打たせて走っていた孝介は、ぴたりと立ち止まって振り返り、
「行かねーっつってんだろっ! このっ、バカハマダーッ!!」
めいっぱい体をくの字に曲げて大音量で叫び返すと、帰り道を全速力で駆け出した。
「はっえー。マジで、アイツ、打たせらんねえ――」
住宅街を駆ける孝介の背中はみる間に遠く離れ、飛ぶように小さくなっていく。
ハマダから漏れた驚嘆の声が、耳に届かないくらいのはやさで。
夏/投/列/島/薬/局/
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