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お題「新婚初夜」改題
アベタカヤくんとイズミコウスケくんの二人は『付キ合ッテイル』ワケですが、まわりのトモダチもオトナ達も、そのことはダレも知りません。
浜田が坂道のてっぺんで、殆どエンストを起しかけている阿部を見つけたのは偶然だった。
『付キ合ウ』っていうのは、『【つたや】ニ付キ合ウ』という『付キ合ウ』ではなくて、フツーだったら、アべくんがイズミくんの、イズミくんがアベくんの話をする時に、『カレシ』とか『カノジョ』とか、そんな風にアイテのコトを呼ぶ『付キ合ウ』です。
人によってアイテのコトを、『好キ』とか『愛シテル』って思う『付キ合ウ』ですが、アべくんがイズミくんに、イズミくんがアベくんについて、それをどんな風に『思ッテ』いるのかは、やっぱりホカノヒトにはワカリマセン。
で、アト、このフタリの場合は、『カノジョ』というコトバは使わないミタイなんです。
まあ、無理もない。阿部が登りきった坂道は、真ん中ぐらいから上半分の距離ですら、『心臓破り』と近所の子供に呼ばれるくらい、勾配があって長いのだから、慣れない人間が自転車なんかで乗り込んできたら、十中八九、今目の前の、阿部の姿に仕上がる。
ってイウワケで、って、あんまりカンケイはないのですが、今日、アベくんは、初めてカエリミチとはギャクの、イズミくんの住むジュウタクチまでやってキタのです。
イジョウ―― オワリ。
「よーっす、阿部、泉ん家? わかる?」
草臥れて、目の下に隈でもできそうな様子で自転車から阿部が顔を上げると、道の反対側に少し下がった所で手を上げている浜田を見つけてギョッと目を剥いた。
失礼な話だ。
阿部は予想していなかった知り合いに出くわしたことと、行き先を言い当てられた事にギョッとしたのだけれど、すぐに、自分がこんな所をうろついていれば知り合いの目から見て、この界隈、他に行き先は思いつかないだろうと気が付き平常心を取り戻した。
そんなこと、浜田は知りもしないで気楽そうに笑って手を振っている。
そこを曲がって降りたトコだよ。
降りたら角に出窓があって、中からマルチーズが外を覗いてる家んトコで曲がるといいよ。
そう言うと、別の道に入っていった。浜田はこれからバイトに行くらしかった。
果たしてマルチーズは覗いていなかったけれど、それと思われる出窓の家を曲がり、阿部は順当に泉の家に到着した。
来る途中で浜田に合ったと言うと、「へーアイツこっちっ側回ってバイト行ってんだな」。そう泉は言ってから、「なら、メシは届けなくても帰りに取りに寄らせられるじゃねーか」と独り言を続けた。
『メシ』、とは、泉の母親が食事の支度をする時に、自活をしている浜田に時々作り分けてやることがあるのだが、泉はそれを指して言っている。
部活帰りの泉が、あの坂道を越えて帰った足で家に上がる間もなく鍋を押し付けられ、配達のために外に放り出されるのが常だ。
一家の中におけるお互いの位置は少し違うけれど、家族構成が同じであるからか、泉の家は、なんとなく自宅に似た雰囲気があった。部屋が二階にあるのも同じだ。
「孝介、麦茶煎れたから上に持って上がりなさいよ」
階段の登り口辺りから、先ほどの訪問時に玄関から挨拶をすると、玉暖簾の間からひょいと顔を出し、「ああ! 阿部くんだ! 坂道大変だったでしょ? よく来たね、ゆっくりしてってね」そう歓迎してくれた泉の母親の、我が子に向けた遠慮の全くない声が聞えてきた。
弟の、シュンの友達であった場合、阿部の家なら母がどんな友達がやってきたのかと喋る気満々で、茶菓子を片手に部屋へ侵入を試みるのだけれど、泉の母の、下の子への扱いは、阿部が友人を家に招いた時の母の反応に似ていた。
「悪ぃ、なんかあるかと思ったんだけど、親のしか無かったみてー……コンビニ行こっか?」
トレイに渋面を乗せるようにして入ってきた泉が何を言っているのかと手元を見れば、成る程、『親の』とは『親の茶菓子』であろう、芋けんぴ(おそらく母親用)だの柿ピー(父親用)が乗っていた。
別に構わないと伝えると、元々細かい事に頓着しない泉は、「そか?」と言って、先にピーナツを一つ口に放り込みトレイを床に降ろした。
「昨日のスポーツニュース見てた?」
「プロ野球のか?」
そうそう。泉はやっぱり柿の種を避けてピーナツを抜きながら頷く。そして、新しく買い換えた時にお下がりに貰ったらしい、今時見かけないテレビと、その下のデッキを片手間に操作して『昨日のスポーツニュース』を頭出しした。ウチの親は巨人ファンとアンチ巨人だから、試合があるとうるさくてゆっくり見てらんねえんだよ。文句の割りには楽しそうな様子で言うのだ。
阿部の家は、プロ野球のシーズン中、家の中で中継やニュースは点きっぱなしだけれど、試合の内容を見て言い合うようなことはない。
「両親が巨人ファン対アンチ巨人の家と、巨人ファン対阪神ファンってどっちが険悪?」
「あ、それはビミョーだよな」
視聴者に向けて試合観戦の高揚感を伝えるために、スポーツキャスターが熱の篭った絶妙の喋り方で映像に華を添えるのを聴きながら、どうだろうかと二人して画面の順位表を眺めていた。
「巨人ファン対阪神ファン」
そう回答を出すと、二人して、まあ、概ね正解ではないだろうかと頷いた。
「あ、昨日の阪神って、ホームゲームかよ」
まだ大映しにはならず、キャスターの後ろの画面に小さく映った映像に惹きつけられるよう、泉が胡坐を掻いた前に片手を着き、少し身を乗り出した。
別に阪神ファンというわけではなくて、阪神のホームゲームは甲子園球場で行われるからだ。
阿部にとっては春と夏の二大会ならいざ知らず、プロ野球の試合で球場が映っている時にはあまり意識をしていないけれど、泉は、やはり憧れの球場なのだという目で、その試合の映像を見つめていた。
プロ野球の試合結果と、何かに惹かれて目を奪われている泉を見ていることであれば、後者の方が阿部にとってよりプライオリティの高いものになる。
麦茶に手を伸ばした風に振舞いながら画面から目を離すと、映像の切れ目ですぐ泉に気付かれた。
何を思うのか、笑みを含んだような表情になる。
たぶん最初に気持ちを向けたのは阿部の方だと思われたけれど、真相は案外判らない。
大体はじめは、いや、今でも、野球の事になると、お互い部員の中でもこれと言って譲れない時には意見の衝突がある方だ。
その衝突からか、お互いそれぞれバッテリーの相方でクラスメイトという存在だった三橋についてやり取りをしているうちだったのか判然とはしないが、なんとなく、いつか部外で会話をすることが多くなり、気付けば、というのがコトの経緯。
だから『告白』なんて、『キチン』としたものはなかった。
キスはした。最初のキスは事故というか、予定外の展開だったけれど。
阿部の方に想いがあったと思われる理由は、その時仕掛けたのが彼の方だったからだ。
それは今日と違って、阿部の家での出来事だった。家族が留守であったから、幸いな事に騒ぎは最小限で済んでいる。モモカンの金剛輪を受けた以来見る泉の慌てぶりと、釣られてうろたえまくった阿部を思い出すと、今でも、どちらにもふっと笑いが沸く出来事だ。
その後も度々することがあったから、キスについては、上手下手は別にして、もう、『最初』を笑えるくらいの余裕があった。
『付キ合ッテイル』ことが確定したのはこの『最初』の時で、慌てただけか喧嘩かわからない応酬の最中、「オレをそう見るわけか?」と口走った泉に「見てるよ!」と、馬鹿正直に返してしまった。
世間に言う、売り言葉に、買い言葉というヤツだ。
ニュースがスポーツから普通のものに変わると、ボリュームを抑えていないのに、元からそれ程大きくなかったその音は、また少し、静かになった。
ちょっと、いい雰囲気かもしれない。
事故とはいえ、『最初』の時に気持ちの確認をすることができたのが功を奏し、阿部にとってのその後は、順調と言って良いものだ。
ちなみに、どちらが先に気持ちを向けたか真相が判らないことについても、それなり、判らないと思う理由がある。驚いたことはあったけれど、泉は、阿部が覚えている限りで退く様子も拒む様子も見せたことがなかったからだ。
年頃らしく、そういった事に興味を持ってのことなのか、泉は元々捌けた性格をしていたから、自分に対して好意的な人間に間口が広いためなのかはしれない。それでも、腕を捕らえても、そのまま背中に手を回しても気に留める素振りもなければ、すぐにもの足りなくなったキスの仕方を少し進めてしまっても、泉は柳の枝を引くようにそれに合わせた。
抵抗を感じない分、気持ちを確かめたいと思うことがあるけれど、縦しんば泉が興味のために触れさせることを許していたとしても、その対象は自分だけだと確信に近いものがあったから、阿部には毎日のやりとりで明らかなように感じられていた。
麦茶と柿の種越しに身を屈めて近づくと、分かったような素振りが返される。
引き寄せるには近く、触れ合うには遠い距離が開いていたから、どちらも少し身を乗り出さなければ届かなかった。
ゆっくり啄むようなキスを繰り返しながら、阿部は、幼稚園くらいのころに壊して叱られた、母のアクセサリーボックスがこんな風ではなかったかと思い出す。
昔、両親の寝室の窓際に置かれていたものだ。
父親が贈ったらしいそれを、母は「オトコってリカイできないシュミよねー」なんて、時折遊びに来た友達と笑っていた。リカイやシュミの意味も判らなかった阿部には、まだ当時、彼女達の会話は難しすぎてよく分からない外国語のように聞えていた。
そのアクセサリーボックスにはオルゴールが付いていて、納められていたUnchained Melodyという曲名は後に知ったのだけど、その名と歌詞を知るにつけ、阿部は、絶対父親が意味を理解して選んだものではないのだろうと思ったものだ。引き出しの取り付けられたオルゴールの螺子を回すと、繊細な音に乗せてガラスの中の人形が一体回りながら、縁に立つもう一体と近い場所に来るたび、口の辺りに仕込んだ磁石が引き合って、ちょうどこんな風に身を乗り出してキスをする。
あんな仕掛けの商品、一体誰が最初に思いついたのかと思うと滑稽に感じて、阿部はふと息を漏らした。なんだろうと思ったか、泉が目を開けて身体を浮かせるように感じ、引きとめようと少し口付けを深くしたら返って離れられた。
「親、上がって来ねえけど居るからさ、あんま吸ったりとかすんなよ」
断りを入れたいだけだったらしい。
気になるなら止めておけばいいようにも思えるけれど、それは結構簡単ではない。
元々止める選択肢を考え付かないようなものだったから、結局は途中で念頭に置いたはずの注意書きなんて、ぽい、と捨ててしまったように、それは少々過ぎたものになってしまった。
あまり意識もしないで阿部が泉の首に添えていた手を撫で下ろして襟の内側に指を潜らせると、そこでようやく泉が身体を退いた。止めようとしたのは少々過ぎたというか、誰も居なければ、その先に進んでしまいそうな感じがあったから、というところもあるかもしれない。
泉は額を押さえて阿部を剥がした。
「阿部さあ、ちょっと聞きてえんだけど」
したくなってねえ?
泉の一言は、その後に続いた、下に家族が居るとは思えない単語も合わせて疑問符を抜いた12輌編成になって、山手線のように阿部の頭の中を周回しだした。
その様子に泉は『最初』の阿部を思い出したのか、我慢しようとして困ったような顔になりながら、口元を歪めてニヤついている。肩まで震えていた。意外と笑いやすい方なのだ。で、言葉が何周目かの通過を終えた後の返事が、予想通りだったものだから、もう、可笑しいといったらありはしないという態度になった。
「でさ、オマエどうやってしようって思ってんの?」
「どうって――?」
顔を逸らすほど笑っていた泉は、そこで急に神妙な顔になった。
「いや、だってさ、普通に女とすんのとは違げーよ? 多分」
つまり、はたして阿部が、自慰の延長のような行為を望んでいるのか、男女のそれになぞらえた行為を望んでいるのか。それなら役割は? 泉はそこが聞きたかったようだ。
冷静な様子でそんな事を尋ねて来る泉は、別にその手の事に経験や知識が豊富というわけではない。阿部には、上手なキスがどんなものかはまだ分からなかったけれど、泉が拙い応じ方をする事だけはよく分かったから、泉の態度には、年の離れた兄の受け売り部分が多いのだろうと思わせられた。
物事の考え方や判断は大人びたところを見せる事も多いけれど、こういった恋愛や、それに絡む行為のことについては、微妙な気持ちの移ろいを伴わないような雰囲気が泉にはあって、それは無邪気に下ネタを披露する田島にどこか近いものすら感じさせられることもある。
「――ちょっと待て」
阿部はよくよく、よーくよく考えた。
熱心にキスに応じているワリに、さっさと頭の切り替えが利く泉は自分のことをどう思っているのか。とまで考えかけて、今の時点で回答とは無関係なそれを一旦頭の隅に押し遣り、伝えるべきを慎重に考えた。
突然、『泉はオレをどう思ってんの?』という住所で起きた地盤隆起に進行を遮られた山手線、車輌番号『シタイ‐XXX‐XXXX』は、行き場を失って頭のどこかで立ち往生をしているようだ。架かっていた電線が切れたように、その所在がすっかり分からなくなっていた。
だって想いはあれどもそれで手一杯で、手順や内容をあれこれ考えたりはしたことがなかったのだから、混乱するのは仕方ないだろう。阿部には良い教材(と書いて兄と呼ぶ)もないのだから。
したいって、オレはどうやってしたいのか。
まず、泉がそんな事をしているところは正直見たい。
じゃ、見せてもらいたいのか?
阿部は頭の中のメモ帳を一枚、ぐしゃりと握りつぶした。
違う。
触りたいし、快感は、やっぱりこれも正直共有したい。
じゃ、抜く延長?
もう一枚。丸めた紙くずが二つ、頭の中でカラリと転げる。
じゃあ。
自慰の延長に当て嵌まる候補が全て消え去ると、選択肢は随分狭くなった。
つまりはその、そういう風にしたいのだと、きちりと決まらぬままに方向だけは定まる。
「オレはちゃんと最後までしたい」
中間報告をきいた泉は、「やっぱりそうか」という顔をしたけれど、それにはどこか、別の方向で回答が出ることを予想して裏切られたような微妙な様相を含んでいた。
「どっちがどうすんだ?」そう、一応先を促す。
阿部がそこで詰まってしまったのを見ると、泉は鼻から長い溜息を吐いて阿部から手を離し、カーペットの上に、大の字に寝転がった。
床の上に落としていた阿部側の手を浮かせて、人差し指で床を突付いている。『オマエも』と促しているのだ。
麦茶を挟んだ向こう側で、指されるまま腕を組んで寝転がる阿部の目に、天井が少し高く見えた。
「どっちが、ってのもだけど、どっちもアリってのもねえ?」
「それはない」
途中で回答に詰まった割にははっきり即答されて、泉は少々驚いた顔を阿部に向けた。
「それじゃオマエ、どうやりたいのか決まってんじゃん」
適切な、指摘だと思った。
「オレが――泉を――だな」
始めから性を考えれば当然の回答に、訊ねた泉の方が「うーん」と唸ったきり考え込んでしまった。
「なんっか、言われると微妙だな」
頭を逸らせると、泉はいつ録画したのか分からないくらい前のニュースを眺めた。昨日の録画はとっくに再生を終えている。
「今日は他に問題もあるから、次までにオレも考えとくよ」
微妙な空気を誤魔化すように、CMが一つ、また一つと流れるのを聞き流しながら、それきり会話は途切れてしまった。
静かな部屋の中では、目覚まし時計が数えていられないくらい、カチ、カチ、と絶えず時を刻み続けている。
瞑想時間が長ければ眠くなると志賀が言ったように、部屋の中は、そのままなんだか眠たいような気配をかもし出していた。
そこへ、泉を呼ぶ声が聞えるのと同時に急にドアが開いたものだから、阿部は驚いた。寝転がったまま、飛び上がりそうになってしまったくらいだ。
「あ、驚かせてごめんね、孝介、お母さんちょっとお父さんが電車に忘れた書類取りに東京駅に行ってくるから、出掛けるなら鍵閉めて出てね」
呆気に取られた阿部を笑顔で一瞥した泉の母は、「寝っ転がってしゃべってんのはいいけど、アンタ達、風邪ひかないでよ」。そう言い残して姿を消した。
急いで支度をしているらしい音がいくつか聞え、そのうち階下から、ドアの閉まる音と、家の中の気圧が変わるような気配が一瞬して、それきり全く静かになってしまった。
また、テレビの音と、目覚まし時計の音だけが聞えている。
「……泉」
「んー?」
カチ、カチと、目覚まし時計の音。
「問題、なくなってないか?」
カチ、カチ、カチ、カチ、カチと、針は時を刻んでいる。
「――だな」
秒針より少しだけ早い鼓動が目立って聞え始めると、それは規則的に時を刻む音を、徐々に押し退け消していった。
夏/投/列/島/薬/局/
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