*stay
お題「悪夢」改題
冬だなあ。
黙っていると、そんな言葉が誰かの口を衝いて出てしまう。
期末考査も数日前に明けて通常授業に戻った11日は、灰色の雲に覆われた、ひどく寒い一日になった。
横をビュンビュンと追っていく車の風で体感温度を下げられながら、更に地面の冷たさを自転車の車輪が巻き上げてくるような帰り道。
みんなと別れてしばらく進んだかと思う頃、携帯が着信を知らせてきた。
ちょうどタイミングよく変わった赤信号で、阿部は内容を確認する。
12/11 19:14 泉 件名 部室に来い
本文はナシ。
『嫌がらせとしか思えない』
『パティスリー・ブランカのケーキが美味しいんだって!』
同日同時刻、家族の言葉をうんざりと耳にいれながら、示し合わせたように漬物へと箸を伸ばしたのは、11月後半のとある夕飯時だった。
嫌がらせ――。
を聞かされていたのは泉の方で、ブランカとかいう洋菓子店の評判を聞かされていたのは阿部の方だ。
泉が食事を終える頃には目の前に千円札が二枚差し出され、夕御飯は好きなものにしてあげるから、ロウソクケーキは友達に祝ってもらいなさい。
そう、母親から宣告を受けた。
「それでなくても冬はお母さん、太っちゃうのに!」
ふた月も続けてホールケーキなんてありえないわ。と、取り付く島なく言われた。
町の緑もまばらになって、寒々しい景色になるこの季節。
泉は親の薄情さを噛み締めながら、黙って二千円をポケットへとねじ込むのだった。
家族に囲まれて祝福されるには微妙な年頃でもあり、大人ばかりの中にぽつんと一人、自分だけ年の届かない家族構成でロウソクを点けたケーキを囲むなんて、想像するとぞっとする。
けれど、だからといって、その言いぐさはねえだろう?
この季節になると常備される温州みかんを剥きながら、十五歳最後の夜、泉は内心へそを曲げていた。
「……え? 泉って誕生日過ぎてんの?」
「おお、とっくに。原付免許も取れちまうぜ」
「――そこ、自慢するとこか?」
仕入れられたパンは大方消えていたから、この時間、購買に生徒の姿は既にまばらだ。
「連続ケーキが御免てのは、ウチもクリスマス兼用だし。大して変わんねえけど」
一年のうちで正月、バレンタイン、クリスマス近くに産まれるとロクな事はない。
コーヒー牛乳にストローを突き立てながら、阿部は泉の得意顔をちらりと眺めた。
『勝手に祝ってもらってこい』のくだりでは、家で受けた扱いの悪さを訴えるのかと聞いていたら、そうでもないらしい。
空腹に負けて確保したパンの袋を破り始めた泉は、目的のコロッケサンドを仕入れられた事に満足しているのか、極々機嫌が良さそうで、誕生日アイテム現金支給の話も、「やったぜ! コロッケサンド!」と内心の叫びの続きに転がり出てきた感じだった。
この時期にこの態度。紛らわしいといったらありはしない。
自分ですら半分忘れかけていた誕生日前日に、弾んだ調子で声を掛けられたものだから、思わず期待を持ってしまった阿部は少なからず落胆して、
「オマケに昔、ケーキなんかいらなねえって言ったら、それ以来シュンの……弟の好きなヤツ買ってくるしな」
そう、不機嫌をごまかすように、退屈そうな声で言い足した。
もうひとつ、泉の誕生日がいつなのかなんて、思い及ばない間に過ぎていたというオマケまでついていたのだからダメージは倍以上だ。
自分より後だと勝手に思っていたから、今日までの期限を惜しむように、年上ぶりを自慢する泉の態度もちょっと面白くなかった。
「実際、家で祝われて喜んでたのはさ、小学生ん時までじゃん?」
親もその辺大概分かってんだろうけどさあ。
階段に腰を下ろしてパンの袋を破りながら、泉はどこか達観したような口を利くと、おもむろにパンの端に噛り付いた。
12月――。
とっぷり日の暮れるのも早くなり、練習時間も少し短くなった。
それにつれて、自由時間がわずかばかり長くなってはいるけれど、件の二千円はいまだ泉の財布に納まったままだ。
バースデーソングとケーキにロウソクなんて可愛いイベント、祝う側ならともかく、ケーキの箱とロウソクを片手に、『誰かオレの誕生日を祝って』なんて行動をするわけがない。
大体、そんなことをしたら可愛いイベントどころか、自分から祝福を乞うなんてあまりにも哀れだ。
その辺は、親の見通しが甘いのか、十六にもなる息子に対する扱いに甘さが欠け始めたのかは知れないけれど、さあ、この臨時収入をどうしようかと泉は月跨ぎで考えて、12月という、悲運の月に生まれた阿部の事情はどうなのかと訊ねてみたわけだった。
ケーキもプレゼントも24日まで持ち越しが普通で、11日に祝われたことなど一度も記憶がない。
10日の昼休みにそう聞くと、泉は「ふーん」と返事をして、『どこのお宅も変わりませんねえ』と澄ましてパンを齧っていた。
コロッケのパン粉を食いこぼさないよう、コッペパンを咥え直した泉に目がいって、ついつい不謹慎なことを考えてしまったから、阿部もそんな話をしたことは、頭の隅にすっかり片付けてしまっていたのだ。
みんなで寄っていたコンビニが見えるところまで戻ると、学校沿いの暗い歩道に、見覚えのある後姿がするりと現れた。
横の路地から出てきた自転車に乗っていた泉が先の校門で降りると、いつもなら乗ったまま漕ぎ上がるスロープで自転車を押し、中へと消えていく。
阿部も後を追って学校の敷地内へ入り、指定された部室まで足を向けた。
「お、思ったより戻んの早ええな」
暗い部室の前で鍵を手に出迎えた泉は、カバンとは別に、マチの広い紙袋を提げている。
「それ、ケーキの箱か?」
「そう。今日、家で食わねえって言ってたから買ってきた」
鍵を開けて部室に入り込み、しばらくスイッチを撫でながら明かりを点けるか思案していた泉は、見つかった時に言訳する様を思い浮かべて面倒に感じたのか、暗いまま、部室の用具入れを漁りだした。
ごろりと引き出された懐中電灯で阿部の方をさっと照らす。
「は、変なカオ――。寒いから早く入ってこいよ」
笑いながら、あまり役に立たない照明を椅子の上に乗せ、泉は紙袋の中から白い箱を取り出した。
「小さいからさあ、ロウソクで穴だらけになっちまうけど」
言いながら、手早くクリームの上に植えられるロウソクは、16本を越えても泉の手元にまだまだ足りないとばかりに握られている。
「何本挿すつもり?」
「へ? 兼用するから32本。ちゃんと数えてるって」
どうりで。
三橋の家でやったように、一々火を点け直すことが面倒だったのだろうと思うと、ハリネズミのようになっていくケーキに向かって阿部も吹き出してしまった。
「かせよ、手伝う」
「そこはプレート置くから挿しちゃだめなんだよ」
引き抜いた一本を広く開いたところに立てようとすると、なっちゃいないとばかりに注意され、ああでもない、こうでもないと揉めたあとで、やっとロウソクを立て終わった。
「そんで、これ置くワケだ」
セロファンに包まれ横に入っていたプレートを取り出す。名前はない。自分で書けといわんばかりに、小さなチョコペンが影からころりと出てきた。
「これは先に書いてロウソクより前に乗せんじゃねえの?」
一先ずケーキに乗せてはみたものの、どうやって名前を書くかと難しい顔をしていた泉は、痛いところを指摘されて顔を掻いた。
来年の予行練習ってコトで今日はいいよ。と理屈を言いながら、チョコペンの先を切って文字を書こうとする。
周到さのないところが、いかにも泉の思いつきらしい。
「なんて書く気?」
「阿部でいいだろ? 書くとこ狭いし、自分の名前を書くのはさむいし」
「さむいってオマエなあ――。寄越せ書いてやるから」
「え? やだよ」
神妙な顔でケーキを覗き込んでいた泉の手元からチョコペンを奪い取ろうとすると、取られまいとしたのか力が入った。
ぐにゃりとペンが潰されて、中が一気に押し出されてしまう。
チョコの上には白い糸状の塊が、歪んだ「阿」の字の「口」の角に、こんもりと乗ってしまった。
「ああっ……オマエなあ! せっかく人が書いてやってんのに!」
「来年の予行練習だろ」
「何を言うか、来年は阿部隆也様って店で書いてもらってやるよ」
不服そうに唸りながら、二人がかりになって火を点けていく。
外から流れ込む空気に揺らぐ炎を手で庇うと、小さな熱の塊に、冷え込んだ冬の寒さを急に思い出して身震いした。
「来年はさあ、場所も考えなきゃな」
ひとつひとつ、小さな明かりが生まれるごとに、暗い夜の中に光の領域は広がって。
暗くて、寒くて、おまけにケーキの上は無茶苦茶になっているけれど、炎の作る小さな空間はどことなく厳かな雰囲気を醸していた。
灯されたロウソクでわずかながら気温が上がっていたから、少しためらいつつも火を吹き消して、再び襲う寒さに急いで穴だらけのケーキを片付けはじめる。
「来年はまず、ケーキ食ってて手がかじかまないトコでやる」
「この箱から直接食ってるしょぼさも何とかしてえ」
文句のわりにはどちらも満更ではない顔をして順調に円を減らし、最後の一口分まで頬張りきった。
飲み込みながら、泉の目が窓外にちらりと舞うものを捕らえ、ふと上げられる。
「この時期に雪? ありえねえ。食ったらとっとと引き上げるぞ」
フォークを咥えたまま呟くと、泉は急いで箱を潰しはじめた。
紙袋に仕舞って立ち上がろうと腰を浮かす。と、腕を引っ張られて膝を突きなおしてしまう。
隣を見れば、やっぱりフォークを片手に持ったままの阿部が、何か言いたそうに泉の腕を掴んでいた。
「なに? もう無いぜ?」
「いや……、ケーキだけ?」
「ケーキだけだよ。他になんか?」
訊き返すと、途端に目を泳がせた阿部を見て、泉は思わず「げ……」と低い声を出した。
「――別に誕生日にかこつけてってワケじゃねえんだけど」
「あー! それ以上言うな。誕生日にってトコに寒イボ出るっての」
「言ったオレの方が寒気……」
「オマエなあ……」
心底嫌そうに言うと、泉は腹立たしげに頭を下げ、掠めるみたいな口付けをした。
「……へ?」
「木曜だから」
阿部が呆けたように訊ねると、至近距離からぶっきらぼうな返事が飛んでくる。
「は? 木曜って意味わかんねえ」
「今日はテメーの誕生日じゃなくて、ただの木曜にしといてやるっての」
苛つきを帯びた声に許されて、腕を引き寄せ唇を含むと、指の先の方だけ床に着いて保っていたバランスが崩れて泉が難しい顔をした。
その唇に残されていたのは、表情とは対照的な甘み。
より求めようとしてこじ開け中を探ると、雑に応じてくる。
「泉、どこまで――」
「……うん?」
「オマエ、ただの木曜だったらどこまで許せんの?」
息を継ぐ間に訊ねると、少し考え込むように泉の動きが鈍った。
隙が生まれたように感じて、思い切って服の中に指を潜らせる。冷たさと、思いがけなさに怯んだのか、泉は素肌まで到達した手を捕まえて固った。
阿部の手を押さえた指は、そのまま引き剥がす仕事を忘れてしまったようだった。
けれど『チャンス』とばかりに温もり始めた手を這わせると、途端、遠慮なく側頭部を押しやられた。
「だあっ! 来年だ来年! 冷てえっての!」
「……いやちょっとそれ、来年はねえだろ」
転げるように逃げ出した泉は、阿部の反応をみて自分の吐いた台詞を思い出したのか、ニヤリと不敵な笑顔になって頷く。
阿部の目がみるみる開かれた。
――え? マジ?
「つーコトで、ケーキも食ったし帰っか!」
朗らかに言い放つと、泉はカバンを担ぎ直して帰り支度を急かす。
はたしてこれはおあずけを食らったのか、
それともコトを進めていいと、許しが出たということか……。
自問自答を繰り返す阿部を置き去りに、意気揚々と自転車を漕ぐ後姿は角を曲がり、日暮れた町へと姿を消した。
夏/投/列/島/薬/局/
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