*てのひら・こころの方程式
毎朝、練習はじめ一番にするのは今も瞑想。
「吸って」
「ちょっとためて」
「ゆっくり吐いて――」
目を瞑り、輪になって座ると、遠くに囀る鳥の声や羽ばたきの音がはっきりと聞え、土の匂いがした。
左手が握っている手は阿部より体温が高い。
少し注意力が散漫なところがあって中々瞑想に入れていないようだ。
時々落ち着かない様子で身じろぐこの手は水谷。
右手が握っている手。
今日はいつも瞬間的に温度を下げ、一番差を感じさせられる三橋の手ではない。
繋がれた掌は同じくらいの温かさで、地面に垂らした右の掌に乗せられた左の掌は、柔らかく重ねられたまま、すこしの緊張も見せてはいなかった。
上がった熱を分けようとしても受取ろうとしても、その手は同じくらいの速度で温まっていくから、そのどちらもできない。
同化しているような体温は、ともすれば反対側でずれたままの水谷に、完全に気配を掻き消されてしまいそうだった。
「三橋はこっち来い、オレと田島の間な」
朝一番、迂闊に荒げた声のせいで縮み上がってしまった三橋が隣に居た。
最悪なことに悪いのは三橋ではない。100%自分に非がある。原因は単に虫の居所が悪かっただけだけれど、それをうっかり外に出してしまった。
急いで謝ったし、周りも翻訳してくれたけれど、原因や理由が明快であれば、最近素直に理解を示してくれる三橋が、今日ばかりは、阿部が明後日の方に向かっ腹を立てているのを、変な方向に敏感に察知してしまって、すっかり萎縮したままになってしまった。
このままならきっと今日、三橋は瞑想が終わるまで、ずっと冷たい手をしているのだろう。
やってしまったか――。
阿部が沈うつな顔をして、がくりとうな垂れた三橋の旋毛を見ていると、察して間に入った泉が三橋を田島と自分の間にさっと押し込んでしまう。
「ほら三橋、手貸せ」
地面に腰を下ろし恐る恐る体から離した三橋の手を、泉は落ち着かせるように一度しっかり掴んでから、繋いだ手を土の上に下ろした。
それぞれ性格の特徴がはっきり違うはずの9組は、一体何を手掛かりに結ばれているのかは分からないけれど、目に見えて結束が固い。部が活動をはじめて早いうちから三橋が気持を乱す度、田島や泉はいち早く気付いた。
守備位置の近い田島は駆け寄ってすぐに三橋の傍に付くし、やや動向を見守る姿勢を見せる泉も、おかしな事態に陥る前に取り落とすことなく救い上げにくる。他の部員達より長い時間行動を共にしている人間が近くにいるだけで、三橋の状態はてき面に変わる時も少なくなかった。
試合に関してはともかく、普段のやり取りにおいて、阿部に泉達のような真似は到底できない。
それに元々天然素材で相性の良い田島はさておいて、泉の方はどちらかと言えば阿部自身や花井の方にベクトルが近いと思っていたから、それだけ自分に比べて人間関係に柔軟なのだろうと思うと頭が下がった。
度が過ぎれば止めてやる。
少し前に泉からそう言われたが、それは、思い返せばもっとずっと前から行われていた。
こうやって三橋の緩衝材になっていたり、通じない意思の疎通を図ってくれたり。考えてみれば随分世話になっている。
言の通り見ていてくれているのだ。
けれど
阿部は考えた。
今もそうだけれど、泉は自分ではなく、三橋の方にひどく重点を置いて心を砕いているように見える。
そりゃそうだろうとは思う。泉が加わる直前まで、阿部自体が三橋に猪突猛進の勢いで接しているのだから。
でもそれは、よくよく考えると少し微妙だった。自分が三橋に一生懸命構うのは問題ないけれど、最近、泉が三橋贔屓に見えるのは正直引っかかる。本人にそんな偏りはないだろうとわかっている分だけ、どこか余計に釈然としない思いが残った。
つい先程の、三橋の手をしっかり取る横顔を思い出す。
三橋の顔を覗き込んで声を掛け、ぎゅっと手を握るサインを、小さな子供にしてやるように送っていた。 そして、そのまま泉は見向きもしないで阿部の方に「ほらよ」とばかり片手を振ってきたのだ。
随分扱いが違うんじゃないか。
そう思った。
水谷はどうにも集中できないようで、手をしきりに動かす。
阿部は考え事の邪魔をされ、舌打ちしたい気分になった。
反対側の泉は動く気配も無いから、どうしているのか全く窺い取れない。
腰を下ろした地面が体温に温められて、拒絶するような冷ややかさを殺していく。
遠い上空で吹く風が、体の周りの空気を緩やかになびかせる。
鳥の声は一層高い。
ふと右手が持ち上げられて、阿部はおやと首をかしげた。
泉の側だ。
薄く目蓋を開けて隣を見ると、片目だけ開けて阿部を睨んでいる泉と目が合う。
志賀や百枝に注意を受けないように、泉は口だけ動かして何か言いながら僅かな動きで顎をしゃくる。それは繋いだ手の方を指しているようだ。
促されるまま目を向けた阿部は、その先を見て唖然とした。
差し出すように持ち上げられた泉の手を、馬鹿みたいにがっちり握り締めている自分の手。落ち着きの無い水谷の比ではない。
握り締められたところが白くなった泉の指に、一体自分はどれほど力を籠めていたのかと、阿部は慌ててその手を緩めた。
「オマエ、そこまで気にすんなら自重しろよ」
瞑想の後、泉が手を擦りながらしみじみと阿部に訴える。
何か言おうと口を開けた阿部を待たず、そのまま付き合いきれないという顔で目の前を通り過ぎてしまった。
「おーい水谷い、ストレッチ組んで」
すっかり信用を無くしたのか、泉は一人飛ばして水谷を呼ぶと、早々に阿部の元から避難してしまう。
そう思われるのも仕方ないけれど誤解されている。三橋には全然関係が無い事を言い訳しようとして、はたりと阿部は口を噤んでしまった。
困ったことに言い訳が全然思い浮かばない。自分の行動に説明がつかない。
自分は先程一体何を考えて泉の左手を握りつぶしていたのだろうか?
少し先では精一杯体を折り曲げられた水谷が唸るような喚き声を上げている。
その背後で、背中を押す腕の間に膝を乗せ、ぐいぐい押して面白がっている泉を眺めながら、阿部は不思議そうに首を傾げた。
夏/投/列/島/薬/局/
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