*桜桃
「おー、泉はなんか良い時に一番乗すんなー!」
小石の散らばる土の道を自転車で入っていくと、まるで、蝉の抜け殻みたいに外のフェンスに取り付いている先客がいた。
「なんだよ良い時って? ――オマエ、そんな上り方してっと落ちるぜ?」
フェンスの上に蹲るみたいにして誰が最初にやって来るのか見ていた田島は、目を輝かせて体を丸めたまま、今度は天道虫みたいな素振りで横倒しのようになり、網へ器用に手足を引っ掛けた。
片手に持っていた袋を口に咥えて降り、泉を手招きしながら座り込む。
「なんだ?」
泉は招きに応じて自転車のスタンドを立てると、田島のすぐ隣りにこんだ。
「ほんとはな、みんなにやれたらいーんだけど、そんなタクサンはねーんだよな」
ほら、センキャクジュン(たぶん田島としては先着順と言おうとしたようだった)と田島が開いた袋から覗くものに、泉は吸い寄せられるよう目を向けた。
袋は鳥の巣みたいに艶やかな果実をいくつも中に抱えていて、オレンジに少し寄った赤い色が鮮やかに泉の目に入る。
「へえ――、さくらんぼだ。でっけー」
「親戚ん家から送ってきたから、持ってきた。オスソワケってヤツだ!」
「食え」と袋がすぐ目の前に突きつけられ、「いいのか?」と確認するよう田島を見た泉は、彼もやっぱり目を輝かせて袋の中からきれいに熟れた実をひとつ摘み出した。
直接果実を持って取り出した桜桃を注意深く軸の部分に持ち替えてぶら下げると、恭しげに一度掲げて日光を当て、開いた口から覗かせた舌先で実を受取り含んだ。
やわらかい果実を噛むと、薄皮の内側で太陽の光がそのまま煮詰って蜜に変わったような、特有の甘味と芳香が口の中いっぱいに広がる。
「――うめー! ……すげー甘えな」
「ったりめー! スーパーのとは違くてコウキュウ品だかんな。アジわえよ」
田島は家族の受け売りらしい「高級品」だの「味わう」だのいう、普段使わない言葉を吐くと、自分も口の中に実を放り込んだ。
とても高級品とは思えない扱いに泉が笑うと、「うめーな!」田島は全開の笑顔で返してから、ぷいっと種を前方に飛ばす。
「やっぱスイカとは跳ぶ距離が違げーし!」
なかなかの飛距離を叩き出せたのか、田島は満足そうに、至極真面目な面持ちで頷いた。
「――やべー、なんっか田島がブタゴリラっぽい」
「なんでっ!」
泉は田島の飛ばした種の方へ向け、口の中ですっかり衣を剥ぎ終えた種を吹き飛ばすと、 「よっ! 八百八!」とからかうように言った。
「八百八じゃねえよ! オレ野球やんだからな!」
宣言しながら、喋りながらも、田島は休みなく次々桜桃を口に運んでいたから、泉も二個、三個と摘んで、元々あまりたくさんはない袋の中身は、あっという間に半分くらいまで減らされた。
足元には一定の方向を向いて散らばる生の色をした桜桃の種。
だいたい二人の直線上にあたるところに生えているセイタカアワダチソウへ向けて、種は飛距離を競って次々飛ばされた。
ぷくりと愛嬌のある楕円の種は、地面に着地すると、みな一様にカタカタと数度体を揺らしてその場に留まっていく。
たまに落下地点に先客がいて、ぶつかって真反対に飛んでいくものもあった。
風向きが、とか射出角が、とか、くだらない競争にあれこれ議論を戦わせながら、なおも種を飛ばしていると、草むらとフェンスの向こう側から見え隠れする麦藁帽がひょっこり持ち上がる。
青々と背の伸びた雑草の間からは、今ではすっかり見慣れた田島の祖父が顔を出した。
「おおー」と、何十年も掛けてたっぷり焼けた肌に、深々と皺を刻んで顔をほころばせた田島の祖父は、孫が口をもぐつかせているのを見ると、コラ、と笑いながら叱った。
「ゆーいちろー! お前、家にあるんだから。自分で食ってないで友達にやれ」
「ちゃんと食わしてやってんぞ!」、そう、地面の種の七割以上を撒いた田島がムキになるのが面白くて、泉が肘で小突くように押してやると、桜桃の袋を押し付けるみたいにして、同じように肘で押し返された。
ちゃんと『食わして』やってるのを見せようと、泉に強引に桜桃を勧めている。
しばらくはそうやって二人して、笑いながら小突きあっていた。
麦わら帽子の下の老いた顔も愉快そうに綻んで、すっかり風景の一部に溶け込んでいる。
大きな麦わら帽子の上には密度の濃い夏空。
空気の対流が起す音みたいな蝉の声。
体の周りでふわりと揺れる、風ではない空気の動きが、今日も暑い一日になることを予告していて、太陽の熱を浴びて温もった実を、またひとつずつ食んだ。
「誰か来る前になくなっちまうなあ」
そう言いながら、どちらも気にする風もなく、歯で果肉を剥ぐ作業を続ける。
「桜ん坊の軸んとこをなぁー」
顎を左右にずらすみたいに動かして、田島の祖父の良い具合にしゃがれた声を聞くともなしに耳に入れながら、歯の間で果汁を喉へと押し出して飲み込んでいく。
「口ん中で結べるヤツはチッスがうめーってぇぞー」
続いた台詞に泉が思わず噴き出すと、
「じーちゃん! 古ぃ!」
隣でそう声を上げて笑った田島から、「すっげーっ! 新記録!」と背中を打たれて咽込んだ。
セイタカアワダチソウの根元には吐き出されたばかりの濡れた白い種。
フェンスの向こう側遠くにはやっと、自転車に乗った栄口の姿がちらりと覗いていた。
夏/投/列/島/薬/局/
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